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エージェントブログ

2021.12.20

【清濁併せ持つ】器量

見た目が麗しいとは世辞にも言えぬ私ではあるが、こと不動産業務にかんしては「清」である。

 

と、公言するほどに怪しまれるのがオチだが(そもそも悪い人間ほど、私はいい人ですと言うのが世の常であるのだから)

 

なんせ、30年も不動産に関われば少なからず人間の「濁」の部分を多く見るし、自らも手を染めてきたとの自覚もある。

 

そのあたりの事情を細かく書くと、各方面に差しさわりがあるので割愛するが、業務が「清」であるというのは「現在は」である。

原色のスーツを華麗に着こなしていた不動産修行時代のことでは、無論ない。

 

収入だけを追い求め「千三屋」として活動すれば、道義は別として稼げる仕事が不動産である(刑務所の塀をバランスをとりながら渡っているような状態であるが)

 

もっとも「濁」に染まるかどうかは人それぞれであるからここで持論は述べない。

 

だが地面師による詐欺事件を未だに耳にするのも、利益に目がくらんだことによるものではなかろうか?

 

私も、地面師から話を持ち掛けられたことは無数にある(無論、自らそのような行為をしてはいない)

 

なんせ人を騙そうとしている連中であるから、一般的な不動産業者と比較しても愛想がよく洗練されている人間が多く、口も上手い。

 

そのような人間が、美味しい不動産の話を持ち込んでくる。

 

文章で書くと怪しい限りなのだが、実際にあうとそうでもない。

 

「その能力、他のことに使えば?」と感心するほどに、応酬話法にも長けている。

 

欲に目がくらめばコロッと、いっちゃうんだろうな……

 

幸いなことに、これまでに一度も地面師に引っかかったことはない(一度だけ契約寸前で詳細な裏取により事実関係が発覚して、九死に一生を得たことはある)

 

 

そのような地面師を防止するには「うまい話には裏がある」と、当たり前のことであるが理解しておくことだ。

 

あとは「違和感」や「臭い」であるが、これは経験により身に着けるしかない。

 

会話の途中の目配りや所作、話を振ってくるタイミングなどで時折、感じる違和感は捨てたものではない。

 

「濁」をより深く知るがゆえに「清」が映えるとしても表現すれば良いのだろうか。

 

経営者に愛読者も多い故_池波正太郎氏の「剣客無頼」という小説であるが、池波氏は主人公である秋山小平に何度も「裏表あるのが人間だから、面白い」といった趣旨のセリフを言わせている。

 

まさに、腑に落ちる言い回しだ。

 

よく、意外な人物による「事件」が起こった時に、情報番組のアナウンサーなどが近隣の住人にインタビューをして「ええ、日ごろから温厚な人でしたけれど、まさかあの人が……」なんてものが放映される。

魔が差したとも表現されるが、いきなり「魔」が差すことはない。

 

内在していた人格が、何かを切っ掛けに露呈しただけである。

 

これを説明するには心理学の解説をしなければならないのだが、ブログを読んでいる方も興味がないだろうし、書き始めると長くなるので割愛する。

 

だが、多面性があるのが人間であると理解しておけば「あの人が……」となることはない。

 

人間には、混沌としたカオスのように人格が複数存在しており、場に応じて幾つもの「顔」を持ってあたりまえだ。

であるから、周りから厳格な人格者として尊敬を集める男性が、夜の繁華街で派手にメイクをして金髪のヅラをかぶりヒラヒラのドレス姿でスキップしている姿を見かけても(実話である)見て見ぬふりをするのが大人の所作であろう(目が合った時には、ウインクして口にチャックする仕草をすればダンディーである)

 

泥の中から美しい花を咲かす蓮の花の例えではないが、「濁」を」知ることにより「清」も輝きを持ち、人として「練られた」状態になり器が大きくなるのだろうと思う。

 

そのような意味から、敬愛する池波正太郎氏などは人生の達人であると言われているが、高額な財産を扱う不動産業者は人間修養のために「濁」を知ることもまた大切だろう(染まってしまうことは勧めないが)

 

綺麗ごとを口にするのは簡単であるが、それを実現するためには「濁」を知り、なお自身を「清」に保つ強さが必要であろう。

 

記事執筆担当_不動産エージェント 奥林洋樹